春日学園

園長のつぶやき

マイナス8度の憂鬱

2017.1.18

天気予報なんですが、地域別予報の精度が上がって、個々丹波でもネットで自分たちに住んでるところの天気が知ることができます。そこで話題になったのが1月18日の早朝の気温がマイナス8度になるってことでした。うちの家内は「テレビでそんなこと言ってなかったよ」って言ったので、「神戸や豊岡(天気予報では比較的メジャー)じゃないんだから、丹波の天気なんて言うわけないし」って言ったら妙に納得してました(うちの家内は丹波より少しだけ都会の生まれで、結婚する前は、僕のことを“奥の人”と呼んでました)。それはともかく、さすがにマイナス8度は無いんじゃないのかと思ってたんですが、結局、マイナス3度までしか下がりませんでした(それでも記録的なんです)。でも不思議なのは、車の窓が凍っていなかったこと。それはたぶん“霧”が原因かと。霧が出ていて、温度が低いだけでは凍らないみたいで、道も全く凍結してなくて、まあ、何事もなく妙に早く着いてしまって、これを書いているわけです。日中は、10度くらいまで上がって、日も差すようですから、積りに積もった雪も少しは解けるのかなと。困った雪も、解けるとなると少し寂しい気もして、あと、2~3日は雪で遊ばせてあげたいと思ったりした、覚悟してたより少し暖かい冬の朝です。

丹波の大雪と私をスキーに連れってってセリカ

2017.1.17

先週末からの“最強寒波”の影響で、春gakuのある丹波市も大雪に見舞われました。子どもたちは、学校がお休みになったこともあって、雪だるまや“かまくら”つくりに大はしゃぎです。丹波というと雪深いという印象があって(10年ちょっと前までは氷上郡でしたから)、京阪神の穏やかな気候の保護者の方なんかは、11月の終わりにはスタッドレスタイヤで来られますから。でも実際のところは、そんなに雪が降るわけではなくて、今年にしても今回が初めての雪みたいなものですから。いつからですかね、雪が嫌いになったのは(本当に嫌いというわけではなくて、雪が降ると少しワクワクします)。「私をスキーに連れてって」よりずっと前から、週末になると4輪スパイクのシルビア(残念ながらセリカではないですが)のルーフに二人分のスキーを乗っけてゲレンデ目指してた頃は、大好きだったんですがね。春gakuの子たちは雪がほとんど降らない、降っても積もらない地域から来てる子が多いんで、雪が積もると本当に喜びます。雪かきに追われる大人たちをしり目にキャーキャー言ってます。

人間万事塞翁が馬

2017.1.12

地元の神社で、本殿への一番乗りを目指して農道を駆けるイベント「福男・福女選び」が開催されました。春gakuのスプリンターR君も参加し、見事3位に入りました。ところで、「福」って何なのか、「運が良いこと、しあわせなこと」ってウィキペディアにはありますが・・・長い人生、ずっと運が良かったり、しあわせだったりすればいいのですが、そんなことはあるはずもなくて(と思っている)、人それぞれに幸不幸の繰り返しなのではないのかと思うわけです。『昔、中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」そしてしばらく経ったある日、逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。「このことが災いにならないとも限らないよ。」しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。「このことが幸福にならないとも限らないよ。」1年が経ったころ異民族たちが襲撃してきました。近くの若者はすべて戦いに行き、その多くはその戦争で死んでしまいました。しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。「老人の馬がもたらした運命は、福から禍(わざわい)へ、また禍(わざわい)から福へと人生に変化をもたらした。」』まったく禍福というのは予測できないものですね。

ゆく年くる年と先輩たちと金本さん

2017.1.5

春gaku は、「餅つき」と年越しそばで「ゆく年」を送り、祝い膳と初詣で「くる年」を迎えます。昭和な感じもするんですが、こども達は結構楽しんでくれています。特に年末の「餅つき」、これを支えてくれたのが、栄養士の金本さんと畑の神様の足立さんと頼りになる田中さん(ブログの写真も見てくださいね。)栄養士の金本さんは、うちの栄養士会(総勢十数名)を束ねる頼りになる皆のお姉さん。畑の神様足立さんと頼りになる田中さんは、これまで他の仕事をされていて、退職を機に春gakuに来て頂いたベテランの社会人さん。えっ!保育士さんたちは?もちろん、頑張ってくれていますよ。福祉施設って専門性が大切じゃないの?なんで保育士や○○士じゃない人が・・・ってですか?もちろん、こども達ひとり一人にきちんと計画を立てて、支援を行う専門的な知識はとても大事なことです。他方、福祉の専門性は無くても、経験豊富な大人が寄り添うことも同じように大切なことだと考えています。栄養士の金本さんは、食の大切さと調理の楽しさを教えてくれます。畑の神様は、畑の事や習字や勉強を教えてくれます(元々小学校の先生)。田中さんは、竹馬を作って遊んでくれたり、時には少し厳しく叱ってくれたりします(これが結構難しいんですが)。今日は登場しませんでしたが、他にもいろんな才能を持った社会人の先輩たちが春gakuを支えてくれています。それはまた次の機会に。僕より少しだけ先輩の皆さん(金本さんはずっと後輩ですよ)、今年もよろしくお願い申し上げますネ。

2016.12.29

2016.12.29

今日は12月29日、昨日、この冬初めての雪が降りました。少し寒い年の瀬です。春gaku は、入所型の施設なんですが、子ども達はそんなに長い間ここにいるわけではありません。今年は8人が卒業し、6人が新しく入ってきました(1年間で3分の1くらいが入れ替わります。それにしても2人減っている・・・少し汗)。うちを卒業した子どもたちは、成人の施設へ入所する人、地域で暮らす人、職業訓練校へ行く人…結婚してお嫁に行く人(稀なんですが…凄く汗)、皆それぞれの道を歩き始めます。そしてこの時から、うちの子は大人に変わります。どんな人生が良いのか、素敵なのか、うらやましいのか、この歳(還暦はまだですが、極めて近い)になっても実際のところよくわかりません。ただ思うのは、禍の無い(少ないで充分かも)、自分が幸って感じられる人生ならいいのにねっていうこと。もう一つ思うことは、うちを卒業して大人になった彼らとは、これで対等になったということ(うちにいたときは彼らの方が少し上・・・涙)。これまでは、子どもと大人、園児と園長、だったのが、これからは、大人と大人、社会人と社会人、みたいなお互いの尊厳を大切にしあう関係になるっていうこと。みんなどんな年末を迎えていますか、迎える新しい年が、みんなにとって幸せ多い年でありますように。春gakuのことは忘れていいんだよ。今の自分の人生を、未来の自分の人生を大切にね。2016年12月29日 年の瀬に寄せて。

これでいいのか?これでいいのだ!

2016.12.27

昨日(12月26日)は、第2回目の子ども食堂の日でした。朝から冷たい雨が降る冬休みの月曜日。そんな日でしたが、中学生の女子が来てくれました。オープニングの時に来てくれていて、次も絶対に来るよって言ってくれた子です。「子ども食堂」っていうのは(前にも書きましたが)、こどもが一人でも安心して来られる無料または低額の食堂 で、子どもの孤食を防ぎ、「だんらん」を提供するところです。今日の子ども食堂(うちでは『ポップコーン』って言います)、実はこの子を含めて二人だったんですね(しかも一人はこの子の妹さん)。難しいのは、このことをどう考えるかなんですが。子ども食堂は、イベントではないですから、たくさんの子どもたちが集えば良いというものではありませんし、かといって、全くニーズの無いところにサービスだけが在るっていうのも違うような気がして。つまり我々もよく解らない、手探りの状態なんですね。アナウンスが足りないのかもしれないし、場所が悪いのかもしれない、天気や開催日に原因があるのかもしれない、などと、来てくれた子どもの数が少ないと失敗と思いこむところがあって、実はこのことはとても良いこと(実際に孤食の子どもが少ないのなら)なのにそんなふうに考える訳です。今日の新聞に、おとなりの篠山市で小中学生を対象に25日から28日まで「ささっこ食堂」が開設されますって記事が載っていました。最近は、田舎でも核家族化と共働き世帯の増加を背景に、日中に子どもだけで過ごす家庭が多くなっているって書いてました。当分、ニーズとサービスの探り合いが続きそうです。

いつも思うのは

2016.12.22

いつも思うのは『施設の子どもたちも、他の子どもと異なる特別な存在ではなく、他の子どもと同じ子どもであるという視点を欠いてはならない。』ということ。専門性を特化するあまり、地域社会との関係を構築できないような環境になってはならないということ。人として、社会に貢献できる個人として、生きる力を育てていくことが大事だということ。

今年もそんな風に思えたのですか?と自分に聞いてみた。

あいつが生まれた朝

2016.12.21

いつの間にか夜が明けて土曜日へと流れる あいつが生まれた朝に初雪の便り聞いた 暦の色もあせる頃さそり座も通り過ぎて 指折り数えた十月も忘れられてしまう 窓辺の花甘く香りゆく秋を懐かしめば 今年も暖かい冬がおまえを包んでくれる ああ時は流れ流れて誰もがこの冬に一年を振り返るもうそれは帰らない日々だけど

1977「海風」より

きらいなはずだった冬に

2016.12.16

いつも気にかけて頂くケースワーカーのSさん。うちのM子ちゃんが小さいころから担当してもらっていて、大人になった今でも「私は、Sさんが一番怖いんやで。小さなときから担当なんやから。」とか「Sさんがお菓子屋や私が欲しいものいっぱい買ってくれたなあ。」とか、彼女がSさんのことを話してくれる時はいつも笑顔です。彼女が自分自身に関わった大人を笑顔で話すのはめずらしいことです。そんな彼女もこの冬「春gaku」を卒業します。

”逃げ恥”っていったい何

2016.12.7

『逃げるは恥だが役に立つ(逃げ恥とかいうらしい)』というドラマがヒットしています。うちでは家内がみているのですが、ドラマって見るのが疲れるので僕は基本的に全くスルーしていたのですが、気になっていたのはそのタイトル。「逃げるは恥だが役に立つ」という意味が分からないけど耳に残る日本語。気になってネットで調べるとハンガリーのことわざで、『自分の得意分野で勝負せよ』の意味らしいのですが、なんかしっくりこない感じもします。自分の得意分野というのは人それぞれあるわけで、例えば走るのが早いとか、料理がうまいとか、ただそれで生活が成り立つというか仕事に出来るというのはとても稀なことで、多くの場合、不得意分野でも勝負しなければならいこともたくさんあるわけです。うちの子どもたちを見ていると、特にそう思ったりします。得意なところもたくさんあるのに、不得意分野で勝負せざるを得ないような、厳しい現実もあるわけです。ただ思うのは、他人の価値観というか、世の中の価値観に必ずしも合わせる必要もなくて、自分の中で大切なものを見つけられたら素敵な人生だと。

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