春日学園

園長のつぶやき

2017年07月の投稿

一つの泉

2017.7.29

昔、今から30年以上前のことです。当時勤務していた某地元金融機関の上司(O係長)のことを少々。先日、いつもの出勤途中の僕の前をBMWが走っていました。ビーエム(ぼくらの世代はこう呼びます。ベンベーなんて言う人もいましたが)も大きくなったなあと思いながら、そういえば、昔、O係長にビーエム借りてたことがあったなと、30年以上前の記憶が鮮明に浮かんできたわけです。ガレージから出すときに少しぶつけてしまったんですが、O係長は「だいじょうぶ、だいじょうぶ。」って気にも留めない様子。「いい人だったなあって」懐かしく思い出したりしてたんです。お金持ちの余裕って言うんですかね。欲がないというか、ギラギラしてないスマートな人でしたね。「俺はどうせここ辞めるんで」が口癖でしたね。まあ、僕の方が先に辞めたもので、その後はどうされたのか分からないままだったんですが。そんなことを何気なく思い出しながら、職場につくと、待っていたのは、O係長の訃報でした。64歳だったと。良くしてもらったのに、迷惑かけたのに・・・優しくというか、親切にした貰った人に何も返せないまま別れてしまうってことが(大げさに言うと)人生にはあるのかなと(言い訳ですがね)。これもお世話になった人が言ってくれたんですが、「世の中はね、一つの泉なんだよ。どこかでこぼしたら、どこかで注げばいいんだよ。」ってね。まだまだこぼした方が多いのかな。ご冥福をお祈りします。

M子再来

2017.7.24

今日、M子(たびたび出ますM子です。去年の夏に冒険したM子、運転免許の取得に数を忘れるほど通ったM子です)が久しぶりに訪ねてきてくれました。自分でクルマを運転して、「園長、来たで!」って、可愛い赤ちゃんを抱いて。M子は今年の4月、お母さんになりました。今は、市内の一軒家で、ご主人と愛娘とM子の三人で暮らしています。M子が持った初めての自分の家族です。歩き始めたばかりの小さな家族です。久しぶりに見たM子は幸せそうに笑いました。逞しくなったね。チャイルドシートに愛娘を乗せて走り去るM子の顔はお母さんの顔でした。また訪ねておいで、会えたら笑顔でむかえよう。

消えたマウンドとバッターサークル

2017.7.21

春gakuには大きな芝生広場があります。今は、夏なので一面ミドリに覆われています。一昨年までは、ここに二つのサークル(芝生のはげたところ)がありました。D君のマウンドとN君のバッターサークルです。夏の炎天下、北風の夕暮れ、いつも二人が野球していた場所です。「マウンドが消えましたね。」他の事業所の苑長に言われて気が付きました。「プロ野球選手になって、お父さんを助けるんや!」って言ってたD君。いつもそれに付き合っていたN君。二人とも春gakuにはもういません。D君は昨年3月宍粟市のグループホームへ、N君は1年下だったので今年の3月、加古川の実家へ帰りました。D君は一度お土産を持って春gakuを訪ねてくれました。夏夕暮れ、風が止まるひと時の間にふと思い出しました。今は見えないD君のマウンドとN君のバッターサークル。

ベトナムについて知っていること

2017.7.13

人口約9250万人、首都はハノイ、ミスサイゴンというミュージカル、ベ平連(ベトナムに平和を!市民連合)、ベトナム戦争、生春巻き、フォー、メコン川、家族を大切にする、見栄の文化、結構フォーマル、社会主義国、ベトちゃんドクちゃん・・・たくさんのジャングルがあり、そのジャングルを失くすために植物が全て枯れてしまう薬をばらまかれたこと(所謂、「枯葉剤」です)。女性も子供も武器を持っていなくても多くの人が殺されました。ベトナム戦争は、アメリカがソ連と競い合うためだけに行われた戦争です。これはベトナムだけの話ではないです。キューバにも韓国にも、似たような事情があります。僕なんかは、1959年の生まれですから、高校生になるくらいまでずっとベトナム戦争でしたから。・・・ベトナムについて知っていること。たったこれだけです。彼の国から二人の兄弟が春gakuに来ました。笑顔が見られるようになりました。たくさん食べられるようになりました。ベトナムについて知っていること、もっと増えるといいのにな。・・・写真は冬の写真です(熱帯夜で寝不足なので)

『こんなことは初めてです』×2

2017.7.7

九州地方の豪雨災害で被害を受けられた皆様に心からお見舞い申し上げます。平成25年9月16日未明、台風18号の大雨で由良川(京都府北部を流れる一級水系の本流。アユの漁場としても知られています。)が氾濫し、福知山市戸田地区に(この地区の一角に当法人の「高齢者グループホーム」「ケアハウス」「保育園」の建物があります)甚大な被害をもたらしました。近年の災害についていつも思うのは、ニュースをテレビで観ている自分と、テレビの中で救助を求める人達や流される家、その立場は次には変わるということ。毎年のように繰り返す災害。テレビにインタビューにお年寄りたちは異口同音に答えます『生れて80年、こんなことは初めてです。』

 

夏が来る

2017.7.3

7月に入りました。台風が近づいています。もしかしてこの台風で梅雨が明けるのかもしれませんね。夏が待ち遠しかった若い頃、1980年代の前半(広く曖昧です)は曇った空を恨めしく眺めた夏が多かったような、フロントガラスの上の方にたまに映る雲の晴れ間を追いかけて、携帯電話なんてないですからね(ノラちゃんの「しもしも」なんて超高級電話だからね)。パーソナル無線なんてもので「ヒューヒュー」いいながら、何台かの車で追い越したり抜かれたり走った(『よそゆき顔』の世界ですね。あっ!若い人ね、パーソナル無線て、お約束があってね、普通にしゃべると怒られるんですね。中国縦貫道のことはチャイナ高速って言ってましたね)。まあ、そんなことはともかく(結構長い)、春gakuにも夏は来ます。プールもStandby。若いお母さん達、子どもさんと来てくださいね。「全力でやります!何事も!!!」って、言ってましたね。

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