新聞か何かで見た記憶ですが、外国人が多く住む地域の小学校では外国人の子どもが日本人の子どもの2倍以上の比率で特別支援学校に在籍しているらしいのです。日本語がうまく話せないので、障がいがあると判断されるということもあるみたいで。前にも書いたんですが、障がい(障害の害は使わず「がい」とひらがなを使うようにと言われました。ぼく自身はどちらでもっていう感じです。)ということの基準なんですが、例えば、ぼくは字が下手で、絵もうまく書けなくて、歌がうまいわけでもなく、運動も出来ない。でも障がいがあるとは言われません。アインシュタインから見れば(そんなところから見なくても)まったくの障がい者で、オリンピック選手から見れば身体障がいかってことになるわけで、冒頭の日本語が分からないから特別委支援学校という構図となんか似たようなところがあって。障がいがある人とそうじゃない人。何所が違うんだろうと思っています。わりとマジに。
2018年06月の投稿
日本語がうまく話せないので
2018.6.25
「人に危害を加えることはしてはいけません。」
2018.6.19
「人に危害を加えることはしてはいけません。」このことを研修します。それはとても大切なこと。「虐待とは○○○○で」と講師の方が講義をされる。集まった職員はそれを熱心に聴いている。よく見かける福祉の世界の話。ニュースは何処の施設で虐待がありましたと報じる。いつまで続くんだろうと思う。正義感を振りかざすわけではないが、人に危害を加えることしてはいけないことを学ぶ場所は小学校だということ。
人生の扉
2018.6.7
人生の扉という歌がある。「人生って20歳では面白く、30歳では素晴らしく、40歳では愛おしく思える。50歳になるのもまたイイ感じだよ。60歳になるのも素敵だし、70歳になるのも大丈夫。80歳だってまだまだ楽しみ、そし90歳を過ぎても生きていくよ。」人は自分の人生の扉を開けて生きていくもの。それぞれの世代で楽しみを、幸せを用意してくれているもの。なのに、ただ一つの扉も開けずに小さなこどもが理不尽に命を亡くしました。もしも、次に生まれることがあるなら、幸せな人生が降り注ぎますように。